昭和四十九年十二月八日 朝の御理解
御理解 第四節 「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった 。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折りには、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる」
御本部で行われます報徳祭に、明日の晩からここから、団体参拝をさせて頂く訳でございますけど、報徳祭と言えば、昔は、四神様のお祭りと九州の者は申しておりました。勿論九州の祖でありますところの、小倉の桂松平大先生の、発願でこのお祭りが、なされる様になりました。
元々桂先生の大恩人と桂先生が仰せられます様に、四神様いわゆる二代金光様あって桂先生。またとりわけ二代金光様は、九州の道の上の大功労者としての金光様でございますから、当時は桂先生が、もうお供えもの万事万端のことを、九州で調えられて、そして御本部の先生方に、お願いなさって本部で、御大祭を仕えられたのが報徳祭のそもそもの起こりでございます。
報徳祭。いわゆるそのお徳に報いるということでございます。只今では御本部では勿論三代金光様。それに、二代金光様の奥方、それから亡くなられました、お道の教師の先生方の御霊様に対するところのお祭りでございます。
合楽でも、その報徳祭がこの十六日に、取り行われる訳でございきすけれども、その報徳祭の内容というか、その報徳祭の性質というものがわかっとらなければならない。と思うのですけれども、昨日お道の新聞を見せて頂いとりましたら、第一面の一番最初のところに、或る先生が報徳祭のことについて、書いておられます。
その報徳祭を迎え奉る。先覚を偲ぶという見出しのもとに、いろいろの記事でございますけれども、私は先覚を偲ぶといった様な、又は慰霊祭ですね。お慰めすると言った様な、お祭りであってはならないと思うです。
只偲んだ、だけじゃいかんです。又お慰める、慰めするという様な、お祭りであってはならないと思うです。只偲んだだけじゃいかんです。
又は、お慰めするという慰霊祭の様な、お祭りであってはならない。私はそれを開いたとたんに、それを感じました。これはどこまでも報徳。ですから、私は報徳祭の掲示が、前々からのが出ておりましたから、内容が変わって来たのですから、書き替えなければいけないと言って、西岡先生に言うて書き直して頂いて、今、掲示がしてございます。
四神様、三代様並びに先覚諸神。勿論、私どもが言う先覚諸神と言うのは、まずは九州の小倉の桂松平先生、次に福岡の初代吉木栄蔵先生、又は久留米の初代石橋松次郎先生、又直接のお手続きであるところの三井教会の初代、荒巻弓次郎先生、またとりわけ合楽の御信心の上に、御指導頂き、お引き立て頂いておる、甘木の初代安武松太郎先生、御五方の霊様へ対する。いうならば、そのお徳に報い奉るところのお祭り。
勿論、昔から言われておる通り、四神様のお祭りということがです。合楽の場合というが、九州に道を頂いとる私どもはです、やはり勿論四神様のお祭りでございますけれど、合楽がそもそも教会としてお取り立て頂きましたのは、三代金光様の御時代に、私のいろいろな商売の上に、いよいよ行き詰まりに行き詰まって、善導寺の現親先生と御一緒に御本部参拝させて頂いた折りに、今後の大坪総一郎の行き方に就いてのお願い、お伺いがございました。親先生から。
そしたら三代金光様が、言下に教えて下さったことは、お道の教師としておかげを頂かれたら結構ですという言葉であった。
まだその頃は商売が出来んなりに、さして頂いておりましたけども、もうその時から、私の決心というか、お道の教師にお取り立て頂くんだなと、いよいよ信心修行に励まして頂いた訳でございます。
そしてまあいわば、二十年近くもお道の教師として、お取り立て頂くことはできなかった。人はどんどん助かる、お広前は段々拡張されるに拡張されて行った。いうならば当時椛目のお広前で、それこそ数知れぬ沢山の難儀な氏子が助かった。その間、様々な問題も沢山ございました。
もう本部の方で、教会として認めない。教師として認めないならば、もうそれで良いじゃないか。当時金光教、金光様から、これは頂きました。金光教神愛会という御教えの下に、お取次さして頂いとりました。だからもう神愛会だけで良いじゃないか。金光教かまたは、銀光教でも良いじゃないか。とにかく人の助かることのために、いうなら金光教の別派と言われても良いじゃないか。と言った様な話しも、でるほどしでございましたけども、もう私の心は動かなかった。それは三代金光様の一言があった。
お道の教師として、おかげを頂かれたら結構であります。という、只そのお言葉に、すがり頼ってのいうなら二十年近くの、当時の椛目でありました。ですからいわばです、桂先生が九州の大恩人を二代金光様、と仰せられた様に、合楽教会にとりましては、いわば合楽教会の大恩人は、三代生神金光大神様であるということです。
だから、その三代金光大神様のお徳に報いるという、お祭りでなからねばいけないということです。
同時に私どもの信心の先輩先覚であるところの、只今申します様に、桂先生、吉木先生、石橋先生、荒巻先生、又は甘木の安武松太郎先生、と言った様なです。信心の上で、特別の御神縁を頂いとる。特別の御教導を頂いて、今日の例えば、合楽の教えというのがです。桂先生の御教えがあり、吉木先生の御教えがあり、例えば、桂先生がです、世界にこの名教を広げて止まぬという、不退転の御信心、道のためなら前に進んでも後には一歩も退らぬという、大御精神に、神習わして頂いて本当にこの有り難い御教えを、世界の隅々までも、広げさせて頂く様なおかげを頂きたいと、念願さして頂いている。
それをおかげを頂かして頂くために、次の福岡の初代がです。それこそ命の様に大事にされた。四神様から頂かれたみ教えと馬鹿と阿呆で道を開けという、福岡の信心のいうなら、心を私どもの信心の心とも頂いて、本気で例えば、現在においても、そうでございますけど、本気で馬鹿と阿呆にならせて頂く修行をさせて頂いた。
して見ると、吉木栄蔵先生は合楽の大恩人。同時にです、中々辛抱し兼ねる。もう本当にたまらんという時もあったけれども、石橋さん信心辛抱さえしておれば、物事整わぬことはないぞ。と久留米の石橋先生が御本部で御修行中にです、四神様からお頂きになられた。
信心辛抱の御教えというものがです。久留米の信心の心といわれとりますが、いつも石橋先生の信心辛抱の御教えを体して、私どももやり、今日までおかげ頂いて来たのですから、やはり合楽の大恩人であるところの石橋松次郎先生ということになるのです。
勿論三井教会の荒巻弓次郎先生というのは、私が、幼少の折りにです。勿論初代親先生のお取次によって、私が今日こうやって命を永らえておる。無い命を一回二回、とおかげを頂いて、もうこの世の者でもないと思われる程しのところを奇蹟的に、助けて頂いとるのですから、いよいよもって、もうこれは絶対、善導寺の三井教会。その三井教会あって、今日の合楽教会があると言えるのです。いうならば、合楽教会の大恩人荒巻弓次郎先生と言うことになるのです。
これは安武先生がおかくれになられてから、何回となしに、私の夢まくらに立たれました。そしてお道の信心の大事なところを、いろいろと、とりわけ天地の御恩徳。または陰陽の道理、ということを細々と教えて頂いた先生であります。
ついこの頃もいわば、安武先生のいわば合楽示現活動にいわば、そういう先生方も共に、御参画下さってあるのです。してみるとねやはり合楽の大恩人安武松太郎先生と言うことにもなるのです。
そういう諸神、いわゆるそういう先覚先生方の大徳に、例えば、お徳を偲ぶとか、慰霊とかいう生易しいものではなくて、そのお徳に報いるということなのです。そのお徳に報ゆることのための、いわば、御大祭。それが報徳祭なのです。合楽の報徳祭です。
そこで、そんなららば、御恩に報いるということは、どうしたらよいか、先生方がお好きであった。お酒が好きであったなら、お酒のお供えをする。甘いものがお好きであったなら、甘いものヽお供えをする。と言った様なことではないのです。先生方が残された、その教えを生き生きと、合楽のお広前に現わし、信奉者の合楽の信者さん方が、その御教えを生き生きと、ご自分の信心生活の上に現わし、そしておかげを受けて行くということ、おかげを受けるということです。
その私どもが、おかげを受けるということが、そのまま四神様、三代様又は、先輩、先覚諸先生方の、霊の神様に対するところの、報徳のお祭りということになるのです。
だからまずは、私どもが、いうならここにも、御理解四節に、これは教祖生神金光大神様の御教えにそむかぬ様にということであります。
成るほど、教祖生神金光大神様はです、天地金乃神様からも大恩人。私ども信者からも勿論大恩人。この方教祖生神金光大神あって、神様が世に出られたと、いわれる程しに、ですから、天地金乃神様からも大恩人。私どもからも大恩人ですけれども、それをも少しその内容を砕いて見るとです。その内容の中に四神様あり、三代金光様あり、そして諸先覚の大先生方にあるのです。
ですから、その先覚の方達のいうならば、み教えを報じ、行ずるということ。それがとりもなおさず、金光大神のいうことに背かぬ様にとは、そういう意味だと私は思うのです。それを合楽は、それを守りぬかせて頂く精進を、本気でさせて頂いたということ。
いうならば、久留米の石橋先生の信心辛抱という事をです。一番私にとっては、この辛抱力が欠げておったんですけれども、石橋先生のそのみ教えというものがです。私の信心の上に、どれ位有り難い結果を呼んだことか。本気で信心辛抱させて頂いた。
それは、泣く泣くというときもあったけれども、その泣く泣くの信心辛抱が、今日では辛抱せんでも済む程しのおかげを私は頂いておるということであり、なら皆さんにおいても、そのところのいわば、信心実習をいわばなさっておられるのである。
とりわけ福岡の、吉木栄蔵先生のみ教えであるところの。馬鹿と阿呆で道をひらけというのは、先日からも頂きます様に、もうこの教え一本で、一切が成就する。解決すると言われる程しのみ教えなのです。
蚊取り線香になれとは、そのことなのです。左巻になれということなんです。しかもそれが、光が伴うておかねばならない。熱が伴うておかねばならない。そこにわずらわしいものがすべて、有り難いことへ、有り難い事へとなって行く。わずらわしい蚊や蛾が落ちて無くなる様に、馬鹿と阿呆になるということはそういう大変な功徳があることを、私をはじめ皆さんも、日々体験しておられる訳であります。
ですから、そういうみ教えに私どもが本当に本気で、取り組ませて頂いてです。桂先生のいうなら、御精神であるところの、この有り難いみ教えを、この名教を、世界の隅々まで広めて止まないという、御信心を如実に今現しておるのが、合楽示現活動なのであります。御取次成就合楽示現活動であります。
金光大神の御取次の生命というこはです、合楽示現活動にあるのです。合楽示現活動というのは、いよいよ神も助かり氏子も立ち行く、天と地が一緒に喜び合える世界、極楽の世界からもう一つ先にあるところの合楽の世界、これが天地金乃神様の願いである。御取次成就というのは、そのことが成就して行くことのために、金光教はあるというても良いのです。
だから、諸先覚の先生方がです。合楽示現活動が始まるやいなやです。先生方が、この先輩の先生方がです、合楽示現活動に参画して、お働きを頂いておるという事実を、それ以来、合楽で起っておるところの、いうならば、奇跡の連続。もうそれこそ広ごりに広ごっておる。現在の合楽の信心者の状態というものがです、いわゆる合楽の金光教会の、教宣というかね、その教宣が広がりに広がって行っているということです。そのことが、いうならば教祖生神金光大神の御取次成就の、それは具現であり、現れなのです。ですから、これが全教に全世界に、こういう合楽示現活動というものが、持たれなければならない。合楽示現活動にお互い参画さして貰うて、その御用に取り組ませて頂かねばならない。 何が一番神様がお喜び頂けるかと、いうならば、合楽の教会の信心の先端というのは、今の示現活動にあるのです。だから示現活動に、いよいよ参画させて頂かなければ、どうでしょうか今の合楽の状態を、今のおかげを頂いておる状態を、家族の者にも、自分の周辺の者にも、それこそ池田さんやら、川上さんあたりじゃないですけど、また熊谷さんあたりじゃないですけれども、そのことにもうかかって、示現活動をなさっておられるということ。
昨日、熊本からお参りして来た方が、こちらに大黒様をお願いしてあった。私は知らぬ間に、この頃まで百五十と言いよったらもう、百六十、やんがて百七十になり相です。もうこれで大概で打ち切らにゃ、打ち切らにゃ、と、いろんな問題もある事ですから、けれども、やはり次から次と注文があるものですから、注文をするのでその、大黒様をお受けに見えたんです。
勿論あなたも、ご承知であろうけれども、大黒様を拝んだからおかげということではないよ、と。これはどこまでも生神金光大神様なのだ。
小倉の桂先生が、九州の地に初めて布教になるときに、二代金光様、四神様がおっしゃった。福神をお供するのぞと、小倉の小さい漁師町、当時言われた小倉の町をです。福神をお供して大繁昌の町にするのぞと。九州の土になりに行くのぞと。九州の生神様と言われる様な信心神徳をつんで、おかげを受けよという意味のことを。布教に九州に出られるときに、おっしゃっている言葉の中に福神と言うことがあります。「この福神をまつりなば、家に宝のつくることなし」というお歌が添えられてあります。
だから、あながち合楽で福神会(富久信会)が出来たり、大黒様をおまつりすることは、決して偶像崇拝でもなからなければ合楽教会では、大黒様どん拝んでから信者の皆に大黒様ば拝ましよるげな。というて大変な噂になっとる相でございますけれども、元々をいえば、教祖生神金光大神の、いわばあの大黒様の中に拝ましてもらう、又はその福神の姿にです、いうならばその大黒様のお姿の中に、親先生を拝むというのでありますから、取次者をいわば拝むということなのですから、金光教の信心の一番素晴らしいところを合楽ではそういう、いうならば、表現をもってお道の信心をいやが上にも、取り進めて行っておるというのが、そもそもの大黒様奉斉であります。
大黒様の奉斉。その方に、熊本の方に聞いて頂くのと同時に、先生最近合楽示現活動、合楽示現活動と言われますけども中々出来ません。皆さんにお話しはしとりますけど、中々出来ませんとこういわれる。
だから出来ませんというとっては出来ませんのですから、合楽示現活動の内容を一つようわからして頂いてこれを自分の周辺に、拡げて行くのでなければいけません。
昨日は、総代会でした。総代会の中で、熊谷さんが、お話しになっとられました。先日ある、ここの青年会の方に、お会いして話をする機会があった。そしたら、おばしゃま合楽示現活動ちゃ、どげんことですのと、聞かれた。あら、あんたどんなまだ、そげんこともわかっとらんの、と言うて、合楽示現活動の内容、わけ、それからその主旨を話された。あヽそげなこつの、そげなこつは僕は一ちょん知らんじゃった。
あんたが只ほんな、合楽の信者というだけで、月次祭にもあんた参らんごたる風で、わかる筈がなかけんで、これから月次祭にはどうでんこうでん、参らんのというて、それこそ示現活動をなさったという話しを、なさっとられました。
私は今日ははじめて、御取次成就信心生活運動というのがです、もう何十年間教団の一つのスローガンとして、その信心を進めて居られます。私共もその運動に参画しておるのでございます。けれどもそれをもっともっと具体的に、いやもう完全にです。それが実が挙がって行く、合楽示現ということはです。私共が如何に、バタバタしたところで、どうにも出来ない事です。その示現活動に参画することに依ってです、字引の上にもある様に示現とは、神仏が不思議な働きを示し現すことでと。言われるのですから、どうでも出来ても出来んでも、その示現活動に参画さしてもらうことによってです。私共の働きと相まって神仏のいうなら、神の働きが、先頭に立って働かれるところに、今の合楽で言われておるところの奇跡が続出しておるのですよ。
ですから、どうでもそれこそ汽車の中であろうが電車の中であろうがです、そこのいうならば活動の糸口をつくらせて頂いて、金光様の有り難いこと、合楽で今おかげ頂いておる人にいうならば宣伝をして行く、伝えて行くということ。決してしらごと言うことはいらん。もうそれこそ、宣伝といえば、効かん薬でん効く様な風に言うとるのが宣伝の様に思うとるけど、合楽の場合は本当に在りのまヽ自分がおかげを頂いてるのをそのまヽに、誇張することも要らなければです、嘘を言うこともいらん。頂いているおかげをそのまヽに人に伝えて行くということが示現活動なんです。
そこには神仏が不思議な働きを示し現わすことが、自分の家庭の上にも商売の上にも、又は健康の上にも本当に只々たまがるという様なおかげが現われて来るのです。
だからお互いがいよいよ示現活動に参画さしてもらわねばいけんのです。それがそのまヽです、教祖金光大神のいうことに背かぬことにも通ずるのです。桂先生が言われる、この名教を世界に拡げん。と言われる様にです、合楽教会大発展ということが、そのまヽ教団の発展につながることは勿論のこと、合楽でおかげを受けると言うことは、そのまヽ世界真の平和、世界総氏子の身の上安全にもつながるという程しの内容をもって、しかもそれが言うだけではないです。神仏が先に立たれるのですからです、それが弥が上にも広ごりに広ごって行くおかげをです。
私はゆうべ合楽示現活動が始まって、大体どの位なるかねと言うて、こう指折り数えて見ると、もうやんがて半年になるわけです。
当時、おかげの泉が三百部程正味が出ておった。それが現在に、半年の間にです八百部出る様になってというその事実から言うてもです。如何に合楽示現活動の、いわゆる神仏が先に立って、不思議なお働きを示し現しておられるという事がわかるじゃないか。
私は皆さんに、先日聞いてたまがったんです。こうやって日々お参りさせて頂いている人がです、まあだおかげの泉を講読しとらんという人があることに、実は驚いたんです。そりゃ皆さん毎朝参って来るんですから、おかげの泉というのは、たった三十日の間に、たった一日分の御理解を収録したのですから、けれどもね、皆さんの場合は、それをこうやって朝晩頂いておられるのですから、なるほどおかげの泉はいらん様にありますけど、あれは皆さんの家の聖典です。合楽の聖典です。
ですからあれはね。読んですてるものではないです。あれはとっとかねばならんのです。助からない霊様の前に座って、あのおかげの泉をバラバラとめくっても霊様がよろこばれる位です。
あのおかげの泉をです、何回も繰り返し繰り返し読んで、医者が助からんという病人が助かっとる事実があるということなんです。
そういう大変なものをです。例えば、皆さんの中に買ってない人がもしあるなら、求めてない人があるとするならばです、もう本当に合楽示現活動に参画したとは言えないです。例えば、末永先生(壱岐郷之浦教会長)ところや富永先生(八代市日奈久教会長)のところはです。毎月五十冊宛あれは求めて行かれます。
信者の中には、十冊も二十冊も示現活動に使うために講入しておられる方があります。自分方一冊じゃいかんです。自分方に係わりあいのある、示現活動のためにです。あのおかげの泉が行使される様なです、働きになつて来なければいけないです。
そうすれば、千部、千五百部はまたたく間に、増えることになって参ります。何らかのためじゃないです、それはいうならば、家の宝としてです。あれは、読んだ上にも読ませて頂いて、保管さしてもらわねばいけんです。
先日、日田の綾部さんが、大阪の方の御親戚の、ある難儀な問題であったときにです。まあとにかく、遠い近いを言わずに一ぺん合楽に出ておいでと、その問題も解決するがと。大変な深刻な問題ですから御夫婦の方が見えられました。そしてお話を頂いて帰られた、とたんにおかげになってまいっておられます。
先日もあちらにおいでられて、一番有り難かったことは、床の間に棚がちゃんとある。その棚の上に、そのときに求めて行かれた、そのおかげの泉がです、あれを全部求めておいでられる。それがチャツとそれこそ袱紗をかけてです、もうそれこそ尊いものとして、棚に飾ってあったのを見てからもう、あヽこの人だんおかげを頂くと思うて、有り難かったと。そして読みなさったですかと、もう二へん通り読みましたと。あれだけの何十冊のことを。という様に例えば、遠隔地の方達が大事にしておるものを、皆さんが大事に、もしされていないとするならばです、まず合楽示現活動はそういうところからです、私は興されなければいけない。
勿論、あの小さい冊子から儲からうとか、そんなことは問題じゃないです。合楽教会では、勿論ずうっと赤字続きです。最近は沢山売れる様になりましたから、まあかつがつ行ってるらしいですが、なら例えば、こんどのなん(おかげの泉)なんかはいつもの倍はあります(ページ数の倍増)あれがもし損とか得とかの問題ならば、わざわざあんなに厚いおかげの泉を出す必要はないです。
問題はみんなに助かってもらいたいの一念がね、そういう事になって行っているのです。それを守り、それを行ずる合楽示現活動に参画するということは、そのまヽ教祖生神金光大神のいうことに背かぬ様にという事になるのです。
とりわけ合楽に御神縁を頂いとる方達が、今合楽示現活動に参画しなくてどうなります。昨日の熊本の方に、私が申しましたが、今日帰られたら、もう知っとられる限りの方に十六日は合楽の報徳祭ですから、どうぞお参り下さい。沢山お参りがあるならば、小型のバスでも雇いますから、皆さん参って下さい。十六日は、報徳祭ですよと宣伝してまわんなさいと昨日は申しました。
会合の都度に私は申しとります。皆さんが十六日の報徳祭に沢山お参りがある様にということは、沢山な人が合楽示現活動に、運動に参画されるという、そういう催しに催されるところの、働きに入られることになるのです。
大祭たんびに、私のお説教を頂いてです。それこそ盲人が目があく、ちんばが立つという様な、お話を聞きながら、そういう働きが起こっておる程しのことなのですから、もうとにかくそこに難儀な人があるとするなら、言わなければ、伝えなければ居られないという精神がです、教祖金光大神のいうことに背かぬ様ということになるのです。
今日私はこの、御理解第四節をです、合楽示現活動に結んで聞いて頂いたんです。いうならば、この報徳祭はです、いわゆる御取次信心生活が御取次成就合楽示現活動それが、お祭りの芯になることでしょう。同時に報徳祭ですから、二代金光様はいうに及ばず三代金光様そして諸先覚の霊の神様達に、何をもって報徳祭ということになるのかと、今日、私が皆さんに聞いて頂いた様なです、信心活動に、参画さして頂くいうことがです、そのまま私は報徳祭ということではなかろうかと思うのです。
先覚の○○先生はお酒が好きじゃった、○○さんは、○○先生はお神酒が好きじゃったから只それをお供えしてお慰め申すとか、只先覚を偲ぶという様な生やさしいものであってはならない、その徳に報いるのだ。
先生方がそれを命の様に大事にされた御教えを、合楽ではそれぞれにいうならば、守っておる。行じておる。それをひっくるめて、今は合楽示現活動という事になっておるのですから、勿論この合楽示現活動ということの内容とか、もっともっと深い、実は説明を要するのですけれども。
又大黒様奉斉ということについても、お互いが大黒様のいうならば、打出の小槌だけに魅力を感じて、こんど発会するところの福神会(富久信会)に参会する様なことがあっちゃいけない。大黒様が担いでござるあの袋をこそ実は、あれは苦労の袋修行の袋だといわれる。だからあの修行が平気で持てれる。私はおかげを力を頂かなければです、いうならば打出の小槌的な、おかげにはなって来ないのだ。
それを只福神をお祭りしさえすりゃ、それこそ家に宝がつきることがないということだけに魅力を感じたんじゃいかん。その福神の全体が頂かれなければいけない。あの大きな袋を平気で、持てれる力を、まず頂かねばならない。
そこからです、いうならば、あの打出の小槌的なおかげにもなって来る。それも決して大黒様のお徳じゃない。いわゆる福神の徳、教祖生神金光大神の又違った意味での表現なのです。いよいよおかげを頂いて、合楽示現活動に参画さしてもらい、そういう自分の日頃の示現活動に参画しておる、一つのしるしと言った様なものをです。報徳祭に現さして頂くことは、自分の御大祭に何名の人に、示現活動が出来たか、何名の人が自分の信心によっておかげを頂いたかということ。自分の示現活動の内容をわからせて頂くことにもなるのです。それがそのまヽ神様へのおよろこび、いわゆる報徳、徳に報いるということ、そういうことだと思います。
いよいよ、明日から御本部参拝さしてもろうて、御本部の報徳祭の御比礼を頂いて帰って、そして十六日に合楽で行われるところの、報徳祭を迎えさして頂く、そういう心づもりというか、そういう心づもりがなされておかねばいけません。
もうとにかく、まあいうならば、一週間なら一週間の間に、何人の人に報徳祭の宣伝をさして頂くか、報徳祭のことを、どれだけの人に聞いて、そして導いて、もう旅費位は私が出しますよ、車は私の車に乗って頂いてよいですから、と言う位なですね、打ち込みをみせての報徳祭でありたいと思います。どうぞ。